■Little Protege -Side J-■



 さらに数日過ぎたけど、やっぱり僕達の姿は元に戻る様子もなくて、もう僕達は半分諦めかけていた。
 ブルースやアルフレッドは、むしろこのままの方が良いのかもしれないけど。流石に僕はまたこの年齢からやり直すのは・・・。
 けど、元に戻る方法が見つからないのなら仕方ないし・・・。

 そういう風に思い始めていた頃、僕は自分の不注意で、ウェイン邸で使っていたお気に入りのマグカップを割ってしまった。
「あ〜・・・やっちゃった・・・」
 割れたカップを拾おうとすると、危ないからとアルフレッドが代わりに片付けてくれた。
「あれ、結構気に入ってたんだけどな・・・」
 まぁ、割ってしまったものは仕方がない。これからどのカップを使おうかな?
 そんな風に思っていたけど、ふと。ずいぶん前に立ち寄った雑貨屋に、なかなか使い心地のよさそうなカップがあったのを思い出した。
 だから僕は・・・。

「いい?絶対付いてきちゃ駄目だからね!?」
 邸の前に並ぶ3人、ブルースとティムとアルフレッドに強く言って、僕は1人で町にカップを買いに出かけた。
 いつもいつも、必ず誰かが僕のフォローをしてくれるのはとてもありがたいことなんだけど。
 それじゃ、いつまでたっても僕はこの体に慣れる事は出来ない。
 だから、この体になれる訓練の意味も込めて、僕は1人で出かけることを決めたんだ。
 アルフレッドとティムはすぐに理解してくれたけど、ブルースを説得するのはなかなか大変だったなぁ・・・。






 ゴッサムの街。
 夜は治安が良いとはいえないこの街だが、昼間はそれなりに行きかう人も多く、メインストリートには洒落た店が立ち並んでいる。
 そんな店の一つから、1人の少年が買い物を終えて出てきた。
 よほど嬉しかったのか、買ったものを大事そうに胸に抱え。少年は鼻歌交じりにバス停へと向かう。
 だが。
「ねえ君。ちょっと・・・」
 不意に呼びかけられて、少年は足を止める。
「僕、ですか?」
 少年が振り向いた先には、品の良い男性が一人、地図を手に持って立っていた。
「君はこの街の人かな?少し道を教えてもらいたいんだけど・・・」
「ええ、良いですよ」
 男性の困っている様子に、少年は笑顔で頷くと。男性の傍に近づき、地図を覗き込んだ。
「この場所に行きたいんだ」
 地図には目印がされていたが、そこは口ではなかなか説明のし辛い場所で。
「あ〜・・・ここは分かりづらいですよね。じゃあ、ここまで案内しますよ」
 別段急いでいるわけでもなかった少年は、男性にそう言って、二人は並んで歩き始めた。



「ここ、ですけど・・・本当にここでいいんですか?」
 先ほどいた場所から幾分か歩いてきた、その地図に示された場所。
 そこはスラムの、しかも人通りがほとんどないような場所だった。
「ああ、ここで良いんだ。ありがとう」
 品の良い男性は笑顔でそう言って地図を鞄にしまい、その代わりに・・・。
「ここは、悲鳴が上がっても誰も助けに来ないからね・・・」
 男性が鞄から出したのは切っ先の鋭いナイフ。
 そういえば、最近この辺りで少年少女を狙った殺人事件が起こっていると、昨日ゴードン署長に聞いたばかりだった。
「君はとても良い子だったからね、苦しまないように天国に送ってあげるよ」
 男は相変わらず品の良い笑顔を浮かべたまま、少年を壁際へと追い込んでいく。
 少年はどうにか逃げ出せはしないかと辺りを見回した瞬間。
「っ!?」
 少年は男に肩を掴まれ壁に押し付けられ、思わず持っていた紙袋を落とした。
 地面に落ちた紙袋からは、がしゃんと何かが割れる音がしたが、男はかまわずナイフを振り上げる。
 やられる・・・!!
 少年は目を瞑ることもできず、じっとそのナイフが振り下ろされるのを見ていた。
「ギャッ!!」
 だが、ナイフが少年の喉に届くよりも早く、いきなり男が横に吹っ飛んだ。
 何事か、と男が吹き飛んだ方を見て、すぐさま正面を向き直れば。先ほどまで男が立っていた場所に体格の良い青年が。
「ディッキー、大丈夫か!?」
 青年は少年に駆け寄って、怪我がないかを確かめる。
「ジェイソン・・・?なんで・・・」

 とりあえず、殺人犯ではる男が壁に頭をうって気絶しているうちに縛り上げ、警察を呼んでメモを残して。二人はその場を離れることにした。



「こんくらい離れりゃ大丈夫だろ・・・」
 先ほどいた場所から走って離れ、しばらくしてから。ようやくパトカーのサイレンが遠くに聞こえ始めた。
「大丈夫だったか?ディッキー・・・?」
 青年、ジェイソンは、手を繋いで引っ張るようにして共に走ってきた少年、ディックの顔を覗き込むようにして尋ねると。
「ん・・・だいじょ・・・うぶ・・・」
 ディックは顔をあげて微笑んだ。だが。
「・・・ディッキー、俺に嘘は通じないぜ?」
「・・・え?」
 ジェイソンは真面目な顔をしたまま、ディックの頬を一撫でして。
「さっきからアンタ、振るえてんだよ。怖かったんだろ?」
 そして、優しく頭を撫でる。
「こ・・・怖く、なんか・・・」
 嘘だ。自分で言っていて、声が震えているのが分かる。
 本当は怖かった。あの時ジェイソンがきてくれなければ、自分は本当にあの男に・・・。
 初め、道を聞かれた時は本当に、あの男があんな凶悪な殺人犯だなんて思いもしなかった。
 だが、肩を押さえつけられた時見てしまった、あの男の目が・・・。
 獲物を捕らえた時の、狂気じみたあの目が、あの男の本性を語っていた。
「ディッキー・・・」
 肩に手を置かれ、ディックははっと顔をあげる。
「とりあえず、どっか・・・向こうにあるベンチにでも座ろうぜ?」
 促されるまま、ディックはベンチに座り。
「なんか飲みもん買ってく・・・」
 そう言って、離れようとするジェイソンのジャケットの裾を、ディックは思わず掴んでいた。今は、ほんの少しの間でも独りにはなりたくない。
 そう思っていたが、ディックはすぐにその手を離し。
「あ、ごめん・・・」
 俯いて、先ほど落として割ってしまったカップの入っていた紙袋をぎゅっと握り締めた。
「・・・・・・。」
「うっわ!?」
 すると、ジェイソンはどかりと隣に座り、ディックの肩を強引に抱き寄せ頭をわしわしと撫でた。
「しばらくこうしててやるよ、Dickie-Bird.俺が傍にいてやる」
「・・・別に、お前に傍にいてもらわなくてもいいよ!」
 その手から逃れようとすると、今度は反対の腕でさらに捕らえられ。
「んだよ、さっきは寂しそうにしてたくせに〜」
「お前が傍にいるほうが危険だろ〜?」
「うっわヒデェ。流石に傷つくぜ?」
 そんな風にじゃれあっている二人は、まさに仲の良い兄弟そのものだった。
 兄と弟が逆ではあるが。
「ところでよ」
 しばらくそうやっていて、漸くディックに本来の笑顔が戻った事にほっと小さく息をついたジェイソンが。ふと、後ろからディックを抱えたまま声をかける。
「なに?」
 それに、抱えられたままのディックは上を向くようにして尋ね返すと。
「それ、なんだ?」
 それ、とは。ディックが先ほどから大事そうに抱えている紙袋の事。
 ディックは苦笑して。
「さっき買ったばっかりだったんだけどさ。あの時落として、割れちゃったんだ」
 割れたものをわざわざ拾って持ってきたのは、現場に身元が分かりそうなものを置いておく訳にはいかなかったからだ。
「ふぅ〜ん」
 ジェイソンはその紙袋をひょいと取り上げ、中を見る。少し割れたくらいならば、接着剤で修復も可能だろうが・・・
 袋の中のそれは、かろうじてカップだったと分かる程度に、完全に割れてしまっていた。
「結構気に入ってたんだけど、もうそれ売ってた店にはそれしか残ってなくてさ」
 酷く残念そうに言うディックの様子からも、それを気に入っていたということは容易に分かる。
 暫くそのカップだった物をじっと見ていたジェイソンが、不意に。
「俺、これ売ってる店知ってるかも」
「ほんと!?」
 カップの入っていた袋の口を閉じてそういったジェイソンに、ディックは飛びつく勢いだ。
「ああ、裏通りの店じゃねぇだろ?これ買ったの」
「うん。それメインストリートの雑貨屋で買ったから」
「じゃあ違う店だな」
 ジェイソンは立ち上がり、紙袋をゴミ箱に捨てるとディックに手を差し伸べ。
「今そんな金もってねぇだろ、貸してやっから、買いに行こうぜ」
 確かにもう割れてしまって使えないが、いきなり捨てられるとは思っていなかったディックは驚いて固まっていたが。
「僕だってちゃんとお金は持ってきてるよ」
 ジェイソンにそんな事を言われ、苦笑しつつもその手を握り返した。



 一緒に歩いていると、意外と、ジェイソンは知り合いが多いのだと知らされる。
 ただ、そのほとんどがあまり柄が良いとはいえないような面々だったので・・・ディックはつい、ジェイソンの手をぎゅっと握って、絶対に離れないようにしていた。
 見た目で人を判断してはいけないし、見た目では判断できないとわかってはいるのだが・・・つい先ほど起こった出来事の所為で、余計に。
 ジェイソンにとってはそれが嬉しくて。挨拶をされ、ディックの事を尋ねられると機嫌よく自分の弟だ!と紹介していた。
 そして漸く、裏通りの更に奥まった場所にある一軒の雑貨店にたどり着いた。
「こんな所にお店があるなんて、知らなかった・・・」
 入口のドアの前で、ディックがポツリと呟くと。
「まぁ、ここが店だなんてぱっと見わかんねぇもんなぁ」
 ジェイソンは苦笑して、ドアを開けるとディックを中へ招き入れた。
 促されるまま店内に入ると、そこは普通の雑貨屋で。乱雑とした外観からは想像もつかないほど綺麗に商品が陳列されていた。
「ちょっとジェイ坊、ここに子供はつれてこないでって言っただろう?」
 店内を見渡していると、店の奥からそう声が上がり。煙草をふかした年配の女性が現れた。
「そう言うなって、せっかく客連れてきたんだからよぉ」
 女性はディックの事を睨みつけているが、ジェイソンが言った客という言葉を聞くとフンと鼻を鳴らして。
「欲しい物があるならさっさと持ってきな。言っとくけど、酒やタバコは売らないからね」
 と言ってレジの横の椅子にどかりと座り込んで煙草を消した。
 ディックが目をぱちくりさせてジェイソンを見上げると、ジェイソンは軽く肩をすくめた。どうやら、彼女は普段からそういう態度の人らしい。
 それから、店内を見回して目当てのものを見つけたが。それは棚の上のほうにあって、踏み台を使っても今のディックには到底とどきそうにもなかった。
「ジェイソン、あのさ」
 こういうお願いはちょっと癪ではあるが、下手に背伸びをして取ろうとして、他の商品を落としたりなんてしたら大変だ。
「これでいいのか?」
「うん、それ。ありがとう」
 ジェイソンが取ってくれたカップを受け取って礼を言うと。何故か頭を撫でられた。
 カップを大事そうにもってレジに向かうと、婦人は相変わらずぶっきらぼうな表情で。
「欲しいのはそれだけかい?」
 会計を済ませると、おまけと言って板チョコを一枚、割れないように新聞で包んであるカップの入った袋に一緒に入れてくれた。
 相変わらずぶっきらぼうな物言いではあったが。
「ありがとう」
 だが、ディックが微笑みお礼を言うと、ほんの少し婦人の表情も和らいだ。

 店を出てから、少し小腹が減ったから、とジェイソンに連れられるままにカフェに入り。パフェをおごられ・・・代金は自分で払うと言ったのだが、子供に金を出されたら自分の立つ瀬がないと、拒否られた・・・他愛もない会話をして。
 そろそろ帰らなければ、と言う時間になると、ジェイソンはバイクで送ってくれると言い出した。
 初めは、そこまで甘える気はなかったのだが。
「またなんかあるかもしんねぇだろ?」
 日が暮れると街の危険度は増すばかりで、ジェイソンの言うことももっともだった事もあり。
「じゃあ・・・向こうのバス停までお願いしていい?」
「おう、任せとけ」
 控え目に言うと、ジェイソンはにっこり笑ってバイクのキーを取り出した。



 ウェイン邸に帰ると、昼間の事件の影響か。ティムが玄関前で待っていた。
「おかえりなさい」
 かけられた言葉はそれだけだったが、ずいぶん心配をかけたということがわかり。
「ただいま」
 ディックは微笑み。二人は手を繋いで屋敷の中へ入っていった。

 ちなみに、ブルースはケイブの中で少し拗ねていたので。その後のご機嫌取りが少し大変だった事を付け足しておく。



 それから2日ほどして。ディックは漸く元の姿に戻る事ができた。
 ただ、光を浴びたのときっかり同じ時間帯に元に戻った所為で、着ていた服が破れて大変な事になってしまったが。



 夜のゴッサム。
 相変わらず、街の中ではせわしなくパトカーのサイレンが鳴り響いている。
 そんな中、とあるビルの屋上に立つ赤いマスクの男が1人。
「・・・・・・。」
 男は町の中を覗き込むようにしていたが、振り向きざまに胸元から拳銃を取り出し背後の人物に突きつける。
 突然現れた背後の人物も、男の喉に鳥を模した手裏剣を突きつけていた。
「なんだ、元に戻っちまったのか」
「ああ、おかげさまで」
 二人はニヤリと笑いあうと、どちらともなく武器を収めた。
「珍しいな、アンタが会いに来てくれるなんて」
 銃をしまった男、レッドフードがそう言うと、後から現れた男、ナイトウィングは。
「お前に聞きたいことがあったからね」
 とレッドフードが足をかけていた段差に腰掛けた。
「聞きたいこと?」
 何のことか心当たりのなかったレッドフードが訝しげに尋ねると。
「うん。お前さ・・・」
「・・・なんだよ・・・」
 座ったまま、少し聞くことを躊躇うようなそぶりを見せるナイトウィングに、レッドフードは先を促した。
「お前・・・あの時、何で何にもしなかったんだ?」
「・・・・・・は?」
 言われた内容が理解できなかったレッドフードは、思わず間抜けな顔をして、素っ頓狂な声を上げる。
「あ、いや、なんでもない!今聞いたことは忘れてくれ」
 それを受けて、ナイトウィングは慌ててその場を立ち去ろうとするが。
「あっ!ちょっと待てって!」
 すぐさまレッドフードはナイトウィングの腕を掴み、それを阻止して。
「なんだよ。あんた俺に何かして欲しかったのか?」
「違う!!」
 背後から、両腕を掴んで拘束すると。ニヤリと笑って耳の後ろに舌を這わせ・・・
「ぎゃっ!!」
「違うって言ってるだろうが!!」
 ・・・ようとして、思い切り足の甲を踏みつけられて手を離した。
「いってぇ〜!!自分から吹っかけといてそりゃねぇよ」
 いくら靴でガードされているとはいえ、思い切り踏みつけられれば痛いものは痛い。地べたに座り込んで足の甲をさすって涙目になっていると、ナイトウィングは仕切りなおし、というようにコホンと咳払いをして。
「お前、子供姿の僕に会った時、あんな事言ってたのに・・・何もしなかったからさ・・・」
 顔を赤くして、ごにょごにょと言う言葉を聞いて。漸く、レッドフードはナイトウィングの言わんとしている事を理解した。
「確かにディッキーはガキになってもイイ匂いしてたけどよ。所詮ガキだろ?」
 レッドフードは子供になっていたナイトウィングに対し、『下半身直撃するような匂いがする』と言っていたにもかかわらず。
 二人っきりで行動している時、彼は一切そういうそぶりを見せなかった。
「俺はガキに興味ねぇの。あんな細っこいの相手にどうこうしようなんて気持ちは起こりゃしねぇよ」
 レッドフードは肩をすくめて、さらに。
「第一、あんなガキに手ぇだしたらそれこそ犯罪じゃねぇか」
「・・・・・・。」
 レッドフードの真っ当な意見に、ナイトウィングは少し頭を抱えた。確かにそのとおりではあるのだが、まさかレッドフードにソレを言われるとは思っていなかったからだ。
「それに俺、ディッキーみたいな弟だったら可愛がる自信あるぜ」
 にっこりと笑って言われたその言葉は本心だろう。実際、一緒に行動している時は頼りになる、良き兄のようにナイトウィング自身が感じていたから。
「まぁ、けどあれだ」
 しかし、レッドフードはすぐさま表情を一変させ、己の唇をぺろりと舐めて。
「アンタが元に戻ってくれて良かったと思ってるぜ」
 ナイトウィングの全身を舐めるように見つめ、ニヤリと笑う。
「あ〜、確かに今のお前の方がお前らしいわ・・・」
 そんなレッドフードの変わりように、ナイトウィングは大きくため息を付いた。
 実は、あんなふうに優しく、頼りになるなら。ジェイソンが兄でも良いかも知れない・・・と、少しだけ思っていたから。
「なぁ、あん時のお礼。俺まだ貰ってねーよ?」
 すると、レッドフードは今度は甘えるように、腰に手を回してそう囁いてきた。
「そうだな・・・あの時は世話になったからな」
 すると、ナイトウィングは思いのほか素直にそれに応じる反応を示す。
「目、瞑れよ・・・」
 レッドフードの頬に両手を添えてそう言うと、ナイトウィングがゆっくりと唇を近づけてくる。
 レッドフードは素直に言う事を聞いて目を閉じた。
 すると、くいっと顔を横に向けられ、頬に柔らかな感触が。
 え?と思う暇もなく、腕の中の存在はするりと脱出を果たし。
「ディッキー!?」
「子供のお礼なら、それで十分だろう?」
 月明かりの逆光の中。そう言って微笑むナイトウィングの美しさに、レッドフードは一瞬息を呑む。
「じゃ、またな」
「あっ!」
 その一瞬の隙に、ナイトウィングは隣のビルへとワイヤーを使って飛び移ってしまった。
「・・・・・・ちぇっ」
 後に残されたレッドフードはつまらなさそうに舌打ちをしながらも、ナイトウィングを追いかけることはせず。
「ま、今回の礼はこのくらいで勘弁しといてやるか〜」
 と満面の笑みを浮かべ、ナイトウィングが飛んだビルとは真逆のビルへと飛び移った。



END

                                 2009/04/21














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